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行政の管理責任と市民の自己責任

市民の方からお聞きする相談のなかには、「用水路にふたをして人が通行できるようにしてほしい」とか「荒川の土手に入れるように柵を撤去し、さらに階段を作って、土手を歩けるようにしてほしい」というものがあります。
しかし、現状では、こうした要望は実現が非常に難しい。
まず、用水路や排水路については、以前の旧浦和市の時代ならば、ふたかけをして通行できるようにしていたことがありましたが、さいたま市に合併したとき、ふたかけをしてこなかった旧大宮市の基準に合わせて、さいたま市としての方針として、ふたかけをしないことに決めたからです。
これを変更して、ふたかけをする、と変えたならば、旧大宮市にある用水路や排水路もふたかけをしなければならなくなり、莫大な予算が必要となるからです。
そこで、平等を期するために、一切ふたかけをしない、ということになったのです。

ところが、住民の方にとっては、「あそこの排水路はふたかけして、人が通行できるようになっているのに、こちらはなぜふたかけをしてくれないんだ」という不満が募ります。
そして、役所に言っても断られるので、市議会議員に相談に来られるわけです。
これを解決するためには、ふたかけが必要な基準やルールを設けて、それに合致したもののみにふたかけをする、という合理的なルール作りが必要になると思います。
その知恵を出していくのが、私たち議員の仕事だと思います。

ただし、行政の側にしてみれば、ふたかけをしない、というルールを守ることは、コストを節約することになるので、このルールを変更するには、かなり難しいといえます。
さらに、ふたかけをしたくない理由は、コスト削減のためだけではありません。
もしも、市民の要望通り、ふたかけをして人が通行できるようにしたとき、もしも、雨が強く降って用水路や排水路から水があふれてしまったときに、通行していた人が危険な目にあったら、行政の責任が問われてしまいます。
いわゆる「管理者責任」というものです。
その「管理者責任」によって、賠償金を支払わねばならないことになったら大変だから、やりたくない、というのも理由の1つだと思います。

このことは、「荒川の土手を自由に歩けるようにしてほしい」という要望にもあてはまります。
もしも、市民が自由に通行できるようにしてあげたとき、その通行する人のなかで、もしもけがをしてしまう人が出て、その人が行政に対して「管理者責任」で賠償金を求めて訴える可能性があります。
実際に、かつて荒川の「管理道路」を車が自由に通行できていたときに、道路にできた小さな穴にバイクのタイヤがはまってけがをしてしまった人がおりました。
その人は、道路の「管理責任」が不十分だったから、という理由で訴えを起こしました。
訴えを起こされた行政(この場合は、国土交通省)は、その「管理道路」を封鎖し、人も車も通行できないようにしてしまいました。

このように、行政には道路や河川の橋や、あるいは用水路などあらゆる公共施設に対して、「管理責任」を負っています。
その公共施設を利用する市民は、そこでけがをしてしまった場合、行政に対して「管理責任」を理由に、賠償を求めて訴えを起こすことが往々にしてあります。
そのこと自体は、当然のことであると思いますが、なんでもかんでも行政の責任にして訴えを起こす市民がいるために、行政はできるだけ責任を負わないようにするために、冒頭で述べたように、用水路をふたかけせず通行をさせない、という選択をしてしまうようになってしまいます。

かつて、小沢一郎が「日本改造計画」を1993年に出版したことがありました。
当時は、細川内閣が誕生する前の頃であり、私も一読したことがありました。
その冒頭の「まえがき」のところで、アメリカの国立公園であるグラウンドキャニオンには、柵がない、というようなことが書かれていたと記憶しております。
これがもしも日本だったら、危険だから必ず柵を作るはずだ、というわけです。
しかし、アメリカではグラウンドキャニオンは断崖絶壁で危険なのは当然であり、そこで落ちないように気を付けるのは、自己責任として当然だ、というのがアメリカの考え方だ、というのです。
実は、そこには行政の管理責任を問う日本の考え方と、市民の自己責任を問うアメリカの考え方の違いが表れている、というのが著者のいわんとすることでした。

私は、この比較については、危険なところに柵を設ける日本の考え方のほうがよい、と思いますが、しかし、通常の用水路や道路において、自分が転んでけがをしたときでも、行政の責任にしてしまうような日本の考え方はいかがなものか、という気持ちもあります。
実際、さいたま市でもそうですが、公園の遊具であやまってけがをしたしまった子供の親が、行政の側に損賠賠償を求めて訴えを起こされたこともありました。
このような事例は、さいたま市だけではなく日本全国各地に少なくないようです。
市民の側ももう少し、自分の「自己責任」というものを考えてもしかるべきではないか、と思わざるを得ません。

そういう社会になれば、冒頭のように「用水路にふたかけをしてほしい」という市民の要望に対して、行政の側は「もしも市民の通行を許して、けがをした人がでたとき、行政が管理責任を問われて賠償金を支払うことになったら大変だ」と考えて、これを許さない、という状態を変えることにつながるように思います。

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