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終戦記念日に思う――歴史の大きな流れをつくるものは何か

66回目の終戦記念日を迎えた本日、公明党さいたま市議団は午後12時30分から大宮駅西口の2Fデッキで、終戦記念日街頭演説をおこないます。
日本のみならずアジア諸国の民衆も含めて多大なる犠牲者を出し、日本のみならずアジア諸国のいたるところを焦土と化してしまった太平洋戦争を起こしてしまった悲劇をかみしめつつ、平和を守り創りだしていかねばならないという決意を改めて固めたいと思います。

さて、この終戦記念日にちなむ番組がテレビでもいくつか放映されておりましたが、そのなかでも大変に興味深かったものが2つありました。
1つは、NHKが放映していた番組で(番組名は忘れてしまいましたが)、日本はなぜ超大国アメリカを相手に、無謀な戦争に突き進み、そして、「一億玉砕」を叫んで焦土となるまで戦争をやめなかったのか、というテーマのものです。
もう1つは、テレビ朝日系の番組で「ザ・スクープSP 玉音放送66年目の真相」という番組でした。
前者の番組では、東京大学の加藤陽子教授がメインの解説者として登場し、太平洋戦争に突入した理由について、当時の日本の状況を資料をもとに冷静に分析していました。
これまで私たちは、一部の軍部が強引に戦争を引き起こし、国民はそれに引きずられていった、と思っていましたが、実は必ずしもそうではなかったことがわかりました。
当時の政府首脳の多くは、戦争を避けたいと考えていました。それだけではなく、海軍もアメリカとの戦争には反対でした。では、陸軍が強硬に主張していたから? もちろん、それは事実ですが、それだけで、国運をかけた戦争に突入できたわけではありません。陸軍の一部が独断専行で始めた日中戦争とはわけがちがうのです。
では、なぜ太平洋戦争を起こってしまったのか?


それは、米英との開戦気運が国民の間で非常に高まっていったからでした。
国民の間では、閉塞した状況から抜け出したいと願う気持ちが日に日に高まっており、政府がアメリカを恐れて戦争を回避するのはとんでもない、といった風潮が大きくなり、政府としても身動きがとれなくなっていった、ということを番組は丁寧に資料に照らしながら解明していきました。

実際に、昭和16年の10月ぐらいまで、日米交渉で開戦を回避しようとする政府とは裏腹に、国民の間では「開戦論」が広がり、政府を開戦へと突き動かしていったことが、よくわかりました。今までのイメージとまったく逆だったのです。
そして、ついに真珠湾攻撃によって太平洋戦争の火ぶたが切って落とされたとき、多くの国民は「明るい気持ちになった」との感想を持ちます。
歴史というのは、つい最近の70年前の太平洋戦争開戦のことでさえ、私たちは間違って認識していることがある、ということを知りました。

もう1つの「玉音放送66年目の真相」は、これまでと異なる真実が見つかったわけではありません。映画「日本の一番長い日」を見たことがある人なら、すでに知っている内容です。ただ、昭和天皇が戦争終結に決定的な役割を果たしたことがよくわかりました。
当時、戦争継続を主張していた陸軍は「大日本帝国臣民の最後の一人にいたるまで、聖戦を完遂する」と主張し、ポツダム宣言受諾による無条件降伏は絶対に承服しませんでした。戦争終結派と、そうした陸軍などの継続派の主張は常に平行線をたどり、負け戦と知りつつ、ずるずると日本滅亡への道をひたすら転落するばかりで、誰もそれを止めることができませんでした。
そのなかで、昭和天皇は御前会議で異例の、自分の意見を述べ、「これ以上、国民に苦しみを与えることは忍びない。自分はどうなってもいいから、戦争を終わらせたい」という趣旨の発言をされます。これによって、強硬な陸軍を黙らせることができたのです。
そして、昭和20年8月10日に、海外に向けてポツダム宣言受諾を打電します。
ですから、アメリカや世界各国では日本との戦争終結は8月10日ということになっています(韓国では、8月15日が「光復節」となっていますが)。

しかし、日本人はそのことを知らされておらず、まだ戦争は続いていると思っていました。
当時は、「一億玉砕」を本気で信じている人が多くいたので、「日本が負けて戦争が終わった」ということを誰が言っても、信じてくれない状況にありました。そこで、すべての日本人に戦争が終わったことを知らせるためには、天皇自ら国民に直接語るしかない。そこで玉音放送となったわけです。

これが陸軍の一部の強硬派の反乱を生みました。「玉音放送が流されたら、本当に戦争が終わってしまう」ということを危惧した陸軍の一部が、近衛師団長を暗殺し、そして近衛兵たちにニセの命令を出して、あの反乱を起こしたわけです。必死に玉音放送に使うレコードを探しますが、どうしても見つからず、ついに8月15日の朝6時に、反乱軍は鎮圧され、そして正午に玉音放送が無事に流れて、終戦が確定したわけです。

私は、歴史というものは、その真っ只中にいると全体が見えず、部分だけを見て判断して動く人間たちによって動かされているのだということを、この太平洋戦争という歴史を通して、改めて思いました。
今も、部分だけを見て、それがあたかも100%正しい、と信じている人たちのせめぎあいによって、時代が動こうとしています。どこまで全体観に立てるか。そして、全体観に立った考え方は、実は多くの人々からは批判にさらされるものですが、その批判に耐えぬいていけるかどうか、が問われていると思いました。

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