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日本流のコンビニを築いたセブン・イレブンに学ぶ

昨日は、午前中、企業訪問を1社おこなったあと、午後からは議会の公明党控室でDVDのダビングや市民要望について役所の担当者からヒヤリングを受けたり、スマイル通信の第16号を製作するなど、さまざまな事務作業をおこないました。
そのあと夜の会合では、公明党の社会保障と税の一体改革についての考え方をお話ししました。

そして、夜10時前に帰宅したあと、たまたまつけたテレビに「金スマ」が放映されており、そのなかで、日本のコンビニの元祖・セブンイレブンの生みの親である、鈴木敏文氏が出ていました。
鈴木敏文氏が日本で起こした流通革命について書かれた本を読んだことがあったので、「鈴木敏文」という名前が目に入るや、その番組にくぎ付けになり、最後まで見てしまいました。
そして、セブンイレブンの歴史を知るなかで、改めて、改革の困難さとそれをやり遂げる執念と努力について、感嘆しました。

昭和40年代はじめの頃、イトーヨーカ堂に勤めていた鈴木氏は、アメリカで小さな小売店であるコンビニが市民の生活に根付いていることに注目します。
そのアメリカのコンビニの名前は、セブンイレブンといいました。
日本では、小売店がダイエーなどのスーバーにおされて、営業が苦しくなっていた時代だったので、日本の小売店が生き残る道は、アメリカのようなコンビニしかない、と確信します。
そして、イトーヨーカ堂の社長に、日本にもコンビニを作りたい、と進言します。
すると、社長からは、「だったら、自分でやれ。資金も会社からは一切出さない」と言われます。

鈴木氏は、創業資金も人材もすべて、自前で確保して会社をおこしました。
鈴木氏をはじめ、社員はすべて小売については素人ではじめた会社でした。
そして、アメリカのセブンイレブンを日本でも営業できるようロイヤルティも得て、社員をアメリカのセブンイレブンに出向させます。
アメリカのコンビニのノウハウを得るためです。
ところが、アメリカのセブンイレブンでは、コンビニの経営マニュアルがありませんでした。
マニュアルには、商品の陳列の仕方やレジの打ち方しかなかったのです。

そこで、鈴木氏は「日本流のコンビニを自分たちでつくろう」と決意します。


まず、日本のセブンイレブンの第1号店をどこにつくるか。
問題はそこから始まりました。
しかし、まだコンビニなどまったくなかった時代であり、どの小売店も、自分の店を改造してコンビニにすることなど思いもよらないと、断られるばかり。
そんなとき、東京の江東区の豊洲にある小さな酒屋から、セブンイレブンのフランチャイズ店になりたい、というお店がありました。
しかし、そのお店の面積は、想定していた面積の半分しかありません。
ところが、鈴木氏はそのお店をセブンイレブンの1号店にすると決断。

酒屋は2200万円もかけて、コンビニに改造します。
ところが、店の面積が狭いため、商品を補充するとき、通路をふさいでしまうという問題が発生。
すると、セブンイレブンの社員が、「前面からではなく、うしろから商品を補充すれば」と提案。
画期的な、背面からの商品補充法が実現します。

また、当時は卸売からの商品の仕入れは、飲料水であれば5ダース単位、洗剤であれば1箱単位というように、まとまった量でしか仕入れることができずませんでした。
しかし、3000種類もの商品を置くコンビニにとって、そのような仕入れでは、大量の在庫ができてしまいます。
そこで、注文数に応じた仕入れができるよう、鈴木たち社員は、卸売店をまわって頼みます。
しかし、どの卸売店も、そんな面倒なことはできない、と断られました。

そこで、1号店の周りに2号店、3号店と次々にセブンイレブンをつくっていき、それらの店舗に注文個数を仕入れてもらえるように改めて卸売店を説得。
これも日本で初めてのことでした。
さらに、毎日の売り上げから商品ごとに売れ行きを管理して、よく売れる商品をたくさん置けるようにしていきます。
この「単品管理」は、日本で初めてというよりも、世界初の方法であり、のちに、「単品管理」が世界からも注目されて「TANPINKANRI」という言葉で世界に広まりました。

こうして、セブンイレブンは日本に「流通革命」を起こしながら、コンビニとして急成長していきます。
さらに、スーパーにはないコンビニ独自の商品として、当時のスーパーではなかった弁当を扱ったり、おでんも扱うなど、消費者のニーズを掘り起こして、コンビニへの集客力を高めていきました。
その挑戦は、いまも続いており、番組ではセブンイレブン独自の商品開発の現場も紹介されていました。
そして、最後にはアメリカのセブンイレブンが倒産したあと、鈴木氏がアメリカのセブンイレブンを買収して、日本流のコンビニ方式で再建してしまうという話まで紹介されました。

こうしたセブンイレブンの挑戦には、学ぶところがおおいにあります。
私たち議員も、市民のニーズや時代の変化に敏感に反応しながら、「どういう政策が必要なのか」「どうすれば市民にとって喜ばれる政策ができるのか」を絶えず考えていかなければなりません。
役所というのは、前例のないことに対する拒否反応は強いのですが、しかし、だからこそ、議員がそこに挑戦しなければなりません。
そういう意味で、「初めてに挑戦する」ことの困難さに対して、知恵と工夫であきらめずに挑戦し続けてきた鈴木敏文氏の偉業は、大いに学ぶものがあります。

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