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吉田松陰の言葉「至誠通天」は私の「座右の銘」に

今年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の第1回目と第2回目を見ました。
ご存知の通り、これは激動の幕末を動かした吉田松陰の妹・文(ふみ)の目から見た吉田松陰の姿を描いたものです。

実は、私のプロフィールには「尊敬する人」は吉田松陰であり、「座右の銘」は吉田松陰の言葉である「至誠通天」です。
だから、吉田松陰は私にとって非常に近しい人であり、今回、大河ドラマで取り上げられたことに喜びを感じておりました。

日本の歴史のなかで、いつの時代が人気があるのかをある雑誌で読んだところ、第1位が戦国時代末期の織田信長から始まる天下統一の時代、第2位が幕末、第3位は源平合戦となっていました。
実際にNHK大河ドラマでも、ほとんどのドラマはこの3つの時代のどれかが取り上げられています。
私も40代の頃までは、戦国時代におけるさまざまな武将の生き様が好きでした。
しかし、最近は幕末のほうが歴史から学びとることが多く、強く惹かれるようになりました。
幕末は、坂本竜馬や西郷隆盛、そのほか「志士」と呼ばれる人たちの多くは、20代から30代の青年であり、しかもそのような地位も身分も低い青年たちが時代を動かしました。
そこが、大名たちが群雄割拠し、そして織田信長や豊臣秀吉という英雄が活躍した戦国時代との大きな違いです。
こうした青年たちが、当時の狭い「藩」の意識を超えて、日本という「国」のことを考え、未来を見すえて行動して、時代を動かしていきました。

明治維新は、国のあり方そのものを覆すような「革命」ではありませんでしたが、しかし、日本の国が低い身分の人間たちの手で大きく変えられていった、という角度から見れば、きわめて画期的なことだったといえます。
そして、その時代転回の原動力の1つが、吉田松陰であったことは誰人も否定できません。
吉田松陰は「安政の大獄」によって30歳で斬首されるまで、彼が生きた期間も与えた影響力の範囲もそれほど大きくありませんでした。
しかし、彼が作った私塾「松下村塾」の弟子たちが、その後の日本にとって、欠くべからざる人材となったことによって、師匠である吉田松陰は歴史に名前を残したのです。

この吉田松陰が好んでいた孟子の言葉があります。
それは「至誠にして動かざる者、いまだこれあらざるなり」という言葉です。
誠を尽くせば、それに動かされないものはない、という意味です。
それを4文字で簡潔に表した言葉が「至誠通天」という言葉です。
この言葉は、私自身の「座右の銘」にさせていただきました。

さて、吉田松陰は「至誠通天」の言葉通り、誠意を尽くして説けば、必ず通じる(わかる)はずだ、という信念をもって、自ら信じる道を人に説き、実践しようとしました。
その行動は、ときにはあまりにも激しすぎることがあり、高杉晋作や久坂玄瑞などの弟子たちが「自重」を促す手紙を獄中の松陰に送ったときには、逆に弟子たちを激しく非難して「絶交」を申し込んだこともありました。
しかし、師匠から絶交を申し込まれても、高杉晋作や久坂玄瑞などの弟子たちは師匠の松陰の身を案じ、斬首されたあと、師匠の魂を受け継いで倒幕に立ち上がったのです。
この師弟のドラマは、本当に興味深い。

幕末の動乱の時代を生きた吉田松陰については、今の時代状況と重ねつつ、これからも随時、述べていきたいと思います。

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