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児童虐待をしてしまう親の心理(その3)

前回の続きとして、今回は児童虐待をしてしまう親の心のなか(無意識)にある「心の傷」を、セラピー(心理療法)では、どのように癒し、回復するのかを、セラピストの話にもとづいて述べたいと思います。

これまで述べたとおり、無意識というのは意識からコントロールすることはできません。意識の領域にできる「心の傷」は、気分をリフレッシュしたり、あるいは人に相談して話を聞いてもらったりすることで、軽くなったり解消できたりすることがありますが、無意識の領域に沈殿してしまった「心の傷」は、そんな表面的なことで癒すことはまったく不可能です。
だからこそ、セラピーが必要なのです。
私たち日本人は、無意識の領域に対する認識が非常に低く、意識との区別さえつかない人が少なくありません。
そのことを最初にお断りして、本題に戻ります。

さて、幼少の頃から親や大人に、心を守られてこなかった子どもの心(無意識)は、常に不安や怒りが渦巻いていて、平和で安定した状態とは程遠いものになっているということは第1回目で述べました。
だからこそ、意識の領域で心が傷ついたりすることがあると、それがささいな出来事であったとしても、そのささいな出来事が無意識の領域に沈殿している「心の傷」の痛みを顕在化させ、意識の領域に強烈なエネルギーとして突き上げてきて、さまざまな行為を衝動として起こさせる、ということを第2回目で述べました。

そのような無意識の「心の傷」を癒すためには、3段階の作業が必要になります。
まず、最初になすべきことは、その人の無意識のなかにある、不安と怒りの根源となっている「心の傷」に迫ることです。

無意識に沈殿している「心の傷」というのは、あまりにも深く大きい傷であるがゆえに、意識の領域でそれを思い出すと、その痛みやあるいは傷をつけられたことに対する怒りなどによって、精神を正常に保つことができず、異常をきたしてしまうことがあります。
そのため、心の防衛本能によって、意識の領域では記憶から消してしまうことがあります。
しかし、意識の領域で消えてしまった記憶でも、その傷によって非常に大きなダメージを受けた場合、無意識に沈殿して残っているのです。

よく、残虐な犯罪や、あるいは非常に大きな災害などによって、大きな衝撃を受けた場合、その出来事が記憶から蘇ってきて、恐怖に体がすくんでしまうような「フラッシュバック」という現象がありますが、それは、こうした無意識に沈殿した記憶が意識に蘇るときに起こるものなのです。

次に、その「心の傷」と向き合うことです。これは、かなり苦しい作業です。前述したとおり、心を守るために意識の領域であえて、その記憶を消しているのに、それを蘇らせていくわけですから。
場合によっては、耐えられなくなるぐらいの辛さや苦しさに襲われてしまい、そこで次の作業に進めなくなる場合もあります。

そして、最後の3番目の作業は一番難しい。
何度もいいますが、無意識に沈殿している「心の傷」は、意識から働きかけることはできないからです。
では、どうやってその傷を癒し、回復するのか。
それは、クライエント自身の無意識の奥底にある、心の平和を回復する力を引き出すしかありません。セラピストが、クライエントに何か力を与えることはしないし、そもそもそんなことはセラピストであってもできるわけはありません。
セラピストにできることは、クライエントが自分の「心の傷」と向き合い、そして、その痛みや怒り、苦しさに耐えることをクライエントと共有し、そして、クライエント自身の無意識の奥底から、その傷を回復するための力が引き出されるように援助することしかできません。
そして、それができるのが本当のセラピストであり、本当のセラピーなのです。

ここでいう「無意識の奥底にある力」というのは、ユングによれば「元型」が表れてくることによって実現します。
人間の無意識の奥底には、平和が乱され、ぐちゃぐちゃに傷ついたときに、その心の平和を回復する力というのは、宇宙を動かすエネルギーのように圧倒的に強大な力をもっています。
無意識に沈殿している「心の傷」が、その人に与える不安や怒りのパワーも、すさまじいものがあり、ゆえに、意識ではまったく制御不能なほど大きな力でその人を突き動かす「衝動」として働くわけですが、その「心の傷」をも断ち切ってしまい、癒し、回復させるほどのパワーなのです。
このパワーは、当然ながら、意識の領域で働きかけて引き出すことは不可能です。
「心の傷」を回復させる、最後の段階に進むことができたクライエントは、無意識の奥底からそうした力が沸き起こるとき、宗教的な象徴(十字架やイエス、マリアなどの像、あるいは日本でいえば神社仏閣など)としてイメージするといいます。
それは、ユングがいうところの「元型」です。
「元型」についてはここで論及することは避けますが、この「元型」が表れてくると、いかに大きな心の傷があっても、それが癒され、回復していくことができます。

こうしたことを踏まえて最後に、現代に蔓延する「心の病」による児童虐待やDVや、ときとして引き起こされる悲劇的な殺人事件を減らしていくためにどうすればよいのかを述べたいと思います。
私たち大人に対しては、無意識の領域で深く沈殿している心の傷がある場合は、その傷によって突き動かされる衝動があります。その衝動が抑えられないほど激しく強いエネルギーである場合、セラピーを受けて、心の傷を回復させるしかありません。そういう衝動を感じる人は、実は、自覚しているはずです。
そして、それよりも、これからそういう心の傷を受ける人間を減らしていくために、私たち大人は、子どもの心を「守る」ことが大切です。
子どもの心を「守る」とは、単にかわいがって愛する、ということではありません。その子を人間として全面的に受け入れてあげること、そして、その子の心を思いやり、無償の愛を注いでいくことです。
大切なのは【無償の愛】です。こういう子は愛するけれど、そういうことをする子は愛さない、というような条件付きの愛ではありません。
たとえどういう性格であれ、自分とはまったく別の人格をもった、尊い存在として受け入れ、愛する。それが、子どもの心を「守る」ことになるのです。

そうして、親や大人によって心を守られた子どもは、大人になったとき、児童虐待やあるいは狂気の殺人事件を引き起こす人間にはなりません。そういう「衝動」は決しておきないからです。
大人たちが子どもの心を「守る」ことができるようになったとき、初めて、悲劇的な児童虐待や犯罪事件を減らし、平和な世の中になると思います。
それは、気の遠くなるような道のりに思えるかもしれません。
しかし、それを着実に実践し、広げていくしかないと私は思っています。

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