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今こそ、時代社会に即応した憲法論議を

本日は、戦後の日本に新しい憲法が制定されてから65年目となる5月3日を迎えました。
この憲法記念日を迎えるたびに、かつては右翼による「改憲論」と左翼による「護憲論」がやかましく騒がれておりました。
今は、それほどではなくなりましたが、憲法についての議論となると、多くの政党は相変わらず、かつての改憲VS護憲論争の次元をいまだに超えていない議論を繰り返しているように思われます。
65年もたっているのにまったく成長していない、というかなんともいいようのない低次元の議論としかいいようがありません。
そしてこの議論は、どちらの側の議論であっても、冷静な議論というよりも感情的な議論に陥りがちです。

なぜ、このように我が国では、冷静な憲法論議ができないのでしょうか。
それは、わが国の不幸な歴史と憲法とが混然一体となってとらえられているからだと思います。
その不幸な歴史とは、戦前の軍国主義によって多くの国民が戦争にひきずられ、塗炭の苦しみを味わったことをさします。
その軍国主義を支えたのが、かつての明治憲法でした。
明治憲法には、現在の憲法にうたわれている「恒久平和主義」「国民主権」「基本的人権の尊重」の3原則はありませんでした。
たとえあったとしても、形式にすぎず、実質は「天皇主権」「侵略戦争是認」が大原則でした。
その明治憲法に変わって、新しく制定されたのが現在の平和憲法です(形式上は明治憲法の改正でしたが)。

つまり、現在の平和憲法こそが、かつて日本を戦争に導いた軍国主義の再来を阻止するための「砦」のような存在であり、これを守ることは即ち平和を守り、国民主権を守り、基本的人権を守ることと同一視されてきたのです。
逆に言えば、平和憲法を「改憲」するということは、すなわち、戦争への道を開き、国民主権や基本的人権がふみにじられた戦前に回帰することである、と思われてきました。

こうしたとらえ方が、いまだに尾を引いているから、憲法をめぐる議論となると、イコール戦争反対か戦争賛成のような議論と同じになり、そして、感情論に堕してしまうわけです。
しかし私は、感情的にならず、もっと知的かつ冷静に憲法について議論していくべきではないかと思っています。

こういうと、旧来の左翼主義的思考回路からいまだに抜け切れない人たちから、「それは、改憲論者に与する、危険な考えだ」という非難を受けるかもしれません。
もちろん、私はそのような「護憲論者」が非難するような、戦前への回帰など毛頭考えておりませんので、そうした非難は的外れです。
つまり、現在の憲法の3原則である恒久平和主義・国民主権・基本的人権の尊重は、絶対に変えてはならないと考えているので、そういう意味では私は断固たる「護憲派」です。
ただし、現在の憲法が制定された当時には想定できなかった、新しい人権の概念が生まれてきており、そうした時代や社会の状況に即した憲法へ整えていく必要があると考えています。
その意味では、「加憲派」なのです。

旧来の「改憲VS護憲」論争という名の、イデオロギー論争は、どちらももう卒業してもよい時期にきているのではないでしょうか。
そして、憲法記念日にあたり、守るべき3原則と、加えるべき新しい人権概念を、冷静に議論していくべきである、と訴えたいと思います。

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