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乳幼児期の子どもの人格形成という視点が欠落した保育行政

かつて私が勤めていた出版社から、セラピストである網谷由香利さんの最新刊『子どもの「こころの叫び」を聴いて!――笑顔を取り戻すための処方箋』が発刊されました。

子どもの「こころの叫び」を聴いて!

網谷さんは現在、千葉県佐倉市で佐倉心理療法研究所所長として、毎日、セラピー(心理療法)をおこない、多くの方々の「こころの不安」を取り除く仕事をされています。
私が教育雑誌『灯台』の編集に携わっていたときから、心理療法の現場におけるさまざまな実例をもとにした網谷さんの連載記事を執筆していただきました。
そのこともあり、この最新刊を見ると、その頃のことが思い出されたりして、大きな感慨にひたってしまいました。

さて、この本は、こころの不安を抱えたクライエント(相談を受ける人)に対する臨床体験をもとに、世間で騒がれているいじめや児童虐待など、さまざまな問題について触れています。
そのなかで、乳幼児期の子どもを保育所に預けることが、その子の人格形成にどのような影響(悪影響)を及ぼすか、ということも述べておられます。
保育行政については、私のような議員の立場からすれば、保育所の待機児童を一人でも減らすために、保育所を少しでも多く作ってほしい、という要望を実現しなければならない立場なのですが、ここでは、そのことはいったん横に置いて話したいと思います。

著者は、人間の赤ちゃんのこころの状態について、こう述べています。
「赤ちゃんは自我が確立されずに生まれてくるため、赤ちゃんにとって、母親は自分であり、母親の目や鼻や口などを、自分の部分対象としてとらえているのです」
と。そして、このような状態を「母子同一化」と呼び、赤ちゃんは生まれた直後の母親と同一化した状態から始まり、母親を安全基地として、三歳までに徐々に母親から分離していきます、と述べています。

このことは、非常に重要なことです。
人間は、赤ちゃんとして誕生したとき、自分という存在を自覚していません(つまり、自我はまだ確立されていません)。
母親も自分も同一のものとしてとらえています(つまり、母子同一化)。
そして、三歳までに、母子同一化が徐々に母子分離していく、というわけです。

ところが、母親が仕事をするために、母子分離前の乳幼児を保育所に預けると、どうなるのか。
ここが問題です。
著者は、こう述べます。
「(母親から分離する前に)母親から引き離されると、こころの深い領域が『不安』な状態になってしまうのです。建築でたとえるなら、基礎や土台や柱ができていないのに、立派な外壁をつくったとしても、いずれ崩れてしまい、瓦礫の山になってしまうのと同じです」
と。
ここでいう「こころの深い領域」とは、深層心理学でいう「無意識」の領域です。
フロイトやユングが指摘したとおり、人間のこころは、表面的な「意識」よりも、その奥にある「無意識」のほうが、はるかに深く大きい。
そして、無意識の世界は、意識の世界からはうかがい知ることはできません。
しかし、無意識は意識にとてつもなく大きな力で作用をおよぼします。

たとえば、私たちは通常は理性(つまり、意識)で考え、行動しています。
しかし、何かのきっかけでこころが不安定になったりしたとき、通常の意識をはるかに超えた大きな「衝動」がこころの奥から突き上げてくることがあります。
その「衝動」とは、破壊衝動であったり、暴力騒動であったり、抑えるのが大変な衝動、ときには抑えきれない衝動に突き動かされることがあります。
それが、無差別な衝動殺人になるケースもあります。

このように、無意識の世界に、消し去ることができないような大きな「不安」が沈殿していると、その「不安」がときとして、意識の世界に突き上げてきて、非常に大きなエネルギーで人間を動かすことがあるのです。
人間は、意識の世界では、「人を殺してはいけない」とか、「わが子を虐待してはいけない」ということはわかっています。
しかし、無意識の世界から突き上げてくる衝動というのは、意識では抑えることは不可能なほど、とてつも大きなエネルギーを持っているのです。

さて、乳幼児期の子どもがきちんと「母子分離」を経る前に、母親から引き離される事態になると、「こころの深い領域(=無意識)が『不安』な状態になる」と述べましたが、それは具体的にどういうことになるのか、ということが問題なのです。


ちょっと想像してみれば、容易にわかると思いますが、もしも自分の体の一部が自分から引き離されたら、どう感じるでしょうか?
たとえば、自分の足や手や体の一部が、無理やり引き離されてしまったら、とても大きな苦痛を感じると思います。
「母子同一化」しているはずの母親と赤ちゃんが日常生活において、保育所に預けられることによって引き離されるとは、そういうことなのです。

そのように保育所に預けられて育った赤ちゃんは、その後、人間としてどうなるのでしょうか?
先ほど、私が引用した著書の言葉の後半には、「建築でたとえるなら、基礎や土台や柱ができていないのに、立派な外壁をつくったとしても、いずれ崩れてしまい、瓦礫の山になってしまうのと同じです」とありました。
これが、その答えです。
つまり、母子同一化から母子分離がきちんとされる前に、保育所に預けられた子どもは、「こころの深い領域が『不安』な状態」になります。
逆にいえば、母親ときちんと「母子同一化」ができ、そのうえで、「母子分離」していくという健全なこころの発達ができた子どもには、何かわけのわからない「不安」にさいなまされることはありません。
ところが、「自分」と同じ存在のはずの母親が目の前から消えてしまう、という不安が「こころの深い領域」に沈殿してしまった赤ちゃんは、言葉では言い表し難いけれども、ともかく何かにおびえたり不安を感じるような心理が常に存在していることになります。
そういう子どもがその後、いろいろなことを学び、成長していっても、いつも、何か不安がこころの奥底に横たわります。
すると、どうなるか。
自分に自信が持てなくなります。
たとえば勉強にしてもスポーツにしても、一生懸命、それこそ人よりもがんばったとしても、自信が持てない。
自分で「まだだめだ」「こんなんじゃ、だめだ」といつも不安を感じ、自己否定の気持ちが常に芽生えてしまいます。
また、対人関係でも自分に自信が持てないので、いつも人の言葉に左右されます。
そして、人に依存したり、その依存から裏切られたらその人をひどく恨んだりします。
だから、友人や恋人ができても、「私は、この人から嫌われているのではないか」という不安に常におびやかされます。

畢竟するところ、人生に自信をもてず、常に不安にさいなまれて生きていかざるをえない、ということです。
これが「建築でたとえるなら、……」ということの意味することです。

ただし、ここで重要なことがあります。
それは、この著書でも述べているとおり、ただ単に母親が一緒にいればいい、というわけではない、ということです。
赤ちゃんは、母親から「無償の愛」を受けて育ったとき、初めて「自分は愛されている」という安心を得ます。
これは、児童心理学でいうところの「愛着」が形成される、ということになります。
この「愛着」が形成されなければ、いくら母親が3歳まで子どもと一緒にいたとしても、やはり「こころの深い領域が不安な状態」になります。
ただ、この議論はここでは煩雑になるので、これ以上は省きます。

さて、問題を戻すと、3歳までの乳幼児期の子どものこころの健全な発達を考えたとき、赤ちゃんにとって、自分と同じ「同一化」した存在である母親との愛情豊かな生活が、その後の長い人生に決定的な影響を与える、というのが、網谷さんの言いたいことなのです。
そのことを考えると、議員として保育所を増やして、どんどん子どもを預けられる施設をつくることを推進している自分は、果たして正しいのだろうか、とふと考えさせられるのです。

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