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「障がい」への誤解と偏見

私のホームページを、遠からず、大幅にリニューアルすることになります。
その打ち合わせのために、マイクロブレインという会社に午前中、訪問してまいりました。
そして、その担当者であり、責任者でもある金子訓隆(のりたか)さんと話しているうちに、金子さんがNPO法人「おやじりんく」の代表を務めていることに話題が及びました。

(少し、間があいてしまいましたが、続きを書きます)
その「おやじりんく」というのは、私なりに簡単にいえば、発達障がいの子供を持つ父親が、父親ならではの役割を果たせるようにするための会、ということになります。
金子さん自身、広汎性発達障がいのお子さんを持ち、家族とともにさまざまなことに挑戦し、世の中に波動を起こしておられます。

私は、議員になる前に、雑誌の編集の仕事をしており、さまざまな活動をされている方とお会いしてインタビューしてきましたが、そういう方に共通する強いバイタリティーを金子さんから感じました。
雑誌の編集者であったなら、きっと、金子さんが活動を展開しているなかでぶち当たっている問題を世の中に伝えていくために、どういう誌面構成でどういう話を切り出して紹介すればいいか、と考えたことでしょう。
今はさいたま市の市会議員として、金子さんがぶつかっている問題をさいたま市で解決していくために、どう政策として取り上げていけばよいか、と考えています。

と同時に、自閉症を含めた発達障がいや、さらに障がい者に対する認識についても、私なりに深く感じていることがあるため、この問題については議会でも追及していきたいと思っています。
というのも、私の父親は幼少のころ、小児マヒで片足がびっこになってしまい、身体障がい者として非常に苦労して生きてきたのを目の当たりにしてきた、ということがあるからです。
また、私が雑誌の編集者時代には、発達障がいや知的障がい、身体障がいについて何度も特集を組んで取り上げてきました。「障がい」についての世の中の誤解と偏見を少しでもなくしたい、思っているからです。
ちなみに、発達障がいへの誤解のなかの大きなものとして、「しつけが悪かったからそうなったのだ」というものがあります。これは誤解というより、まったくの間違いです。
知的障がいや身体障がいならば、「しつけが悪かったから」と思う人はいないでしょう。発達障がいも、しつけはまったく関係ありません。脳の一部に損傷があるため、生まれてきたときからそうなっているのです。
だから、一生治ることはありませんが、早くが気が付いて適切な療育をすれば、障がいを克服しやすくなります。

ここで障がい全般について論じることができませんが、私なりに言いたいことは2つあります。


まず第一に、身体障がいであれ知的障がいであれ発達障がいであれ、望んでなった人はいない、ということ。
つまり、本人には何も罪がないのです。罪のない人に、偏見を持ったり、さらに差別するような言動をするのは、それ自体が、その人の低い人間性を表していると思います。

次に、障がいは、広い意味でその人の「個性」の1つである、ということ。
人には、それぞれ個性があります。いろいろなクセを持っています。健常者の方であっても、身体的なくせを持っていたり、思考的なくせを持っていたりします。
障がい者にとっては、それぞれの障がいが、身体面や頭脳面の違いはありますが、やはり、その人の「個性」なのです。
確かに、日常生活のなかで、障がいが不便となることもありますが、本人の努力と周囲の理解とサポートによって不便は乗り越えられます。
健常者であっても、偏屈な考え方を持っていたり、暴力的な性格を持っていたり、さまざまな「個性」をもっている人に対しては、周囲の人の理解がなければ、社会的に浮いてしまってまっとうに生きていくことが難しい場合があるのとほとんど同じだと思います。
だから、障がいを特別視する必要はありません。「かわいそう」と思う必要もありません。
もしも、障がいを「かわいそう」と思う人がいたとしたら、それは、その障がい者に対して、偏見を持っているのと同じことになります。「かわいそう」と思う人の心理的背景には、障がい者がほかの人よりも劣っている、という認識があるからだと思います。
確かに生活に不便な場面はありますが、だからといって障がい者が健常者よりも「劣っている」ことにはなりません。
私の父は身体障がい者ですが、頭脳や思いやりの心は、何も劣っていません。それは、知的障がい者であっても、発達障がい者であっても同様です。人間として「劣った人間」ではまったくありません。
実際、障がい者の方のなかには、傑出した芸術作品を生み出したり、世の中に認められるだけの仕事をしている、すぐれた人たちがたくさんいます。歴史上の人物のなかにも、その人間の行状から自閉症やアスペルガーだったのではないか、といわれる人たちが少なくありません。かの天才・アインシュタインもアスペルガーだった可能性があると指摘する人もおります。
ただ、障がい者は、生活のなかで不便なことがあるのは事実です。それを理解してくれればよいのです。本人だけではどうしても困っているときだけ、サポートしてくれればよいのです。

日本は、世界一の高齢社会です。そして、現在65歳以上の高齢化率は約23%ですが、今の出生率が続けば、2050年頃には40%になってしまいます。10人のうち4人が65歳以上となるわけです。
高齢者になると、健康な人であっても、体を動かすのが不自由になってきます。その意味では、すべての人はいずれは「障がい者」同様になっていくのです。
だからといって、それが不幸だとは思いません。支えあって生きていく社会をつくっていけば、障がい者は幸せな人生を生きることができるからです。長生き自体は、不幸なことではありません。本来、人生を長く生きるというのは、それ自体が幸せなことだと思います。
「高齢社会」を「幸齢社会」に――それが、公明党が目指す社会であり、私自身がめざす目標でもあります。

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